太子橋校下の歴史的遺産と文化
■「専光寺」
七町会に存する専光寺は、享保元年(1716年)智念が創建しました。宗派は浄土真宗本願寺派で、元は西成郡橋寺村字垣内という在所にありました。流前山と号して、大字天王寺庄専宗寺の信徒であった智念が、寂如法主の直弟子となって村人の協力を得て建立し、3百年の歳月の歴史を有する由緒ある寺院です。また、当寺院には二列横隊の六地蔵がまつられています。人は生前の行為の善悪いかによって死後に、地獄・畜生・餓鬼・修羅・人・天という六道の境涯を輪廻転生するといわれていますが、六地蔵は、そのそれぞれに、衆生救済のために配された壇陀・宝印・宝珠・持地・除蓋障・日光のことを言います。
— 出典:「旭区ボランティアガイドの会」
■「平太の渡しの碑」
「平太(平田)の渡しの碑」は、江戸時代延宝4年(1676年)コロに開かれ、昭和45年3月、現在の豊里大橋が完成するまで、294年間にわたって 淀川を跨いで 西成郡豊里村大字天王寺荘字平田(東淀川区豊里地区)と東成郡古市村大字今市(旭区太子橋地区)を結ぶ交通機関として利用されていた渡船場の跡です。当時、南大道村(東淀川区大桐)の郷土沢田佐平太は、堂島川・木津川など16カ所の渡船の特権を得て、渡船業営んでいたことから「平太」と呼ばれていますが、一般的には、地名である「平田」と呼ばれています。 その後、大正14年に大阪市営となりましたが、最盛期には1日に約3,000人、670台の自転車を運んだとされています。
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